巻き込まれてしまった
- medicaproject 医療福祉ライター今村美
- 9 時間前
- 読了時間: 3分


「“巻き込む”って言葉が最近きらいなのよ」という言葉を最近耳にした。
地方創生とか教育とか、大きい主語の文脈で語られる「巻き込む」は、ときに当の人たちをおいてけぼりなことがある。
『「不」自由でなにがわるい』の主人公であるともっちこと山下智子になら、喜んで巻き込まれる。でも、確かに大きい主語の「巻き込む」には、私も違和感あるもの結構あるなぁと思いながら聞いていた。
はてさて、嬉しくないことに、昨夜は交通事故に巻き込まれてしまった。
山道のくねくねカーブ。おそらく対向車なんて来ないと思われていたのだろう。
黄色いラインを超えて走っていた対向車は、ラインを超えたまま、「あれ?近くない?」と思った瞬間、そのまま私の車にぶつかってきた。
「あれ?これぶつかる??」と思った時にはすでに遅し、グシャ、ガリリリリ。
「あぁぁぁぁ、本当にぶつかるんや!」というか「ぶつかっとるわ!!!!」
と叫ぶ代わりに、このところの吉凶混合っぷりがハイペースにより、人生の辻褄が合っているような不思議な感覚で、妙に冷静。
「うん、でーすーよーね」。
さて警察に電話かと、スマフォに手を伸ばしていたら、相手の人が「すみません、すみません」と言いながら、車から降りてきた。
こちらも降りようとしたらば、扉が開かない。仕方なく後部座席から外に出た。
車の右側前方はぐしゃり。車は前にも後ろにも動かない。
こちらもあちらもレッカー決定だけれども、人身にはお互い影響なく、救急車を呼ばなくてよかったのは不幸中の幸い。
人のよさそうなおっちゃんなことにも安堵。
今日は通らなくてよいはずの方の山道に、いつもの癖で出てしまったのはなぜや?と思わなくもないけれど、でもこういうときはこういうもんなんだろう。
あぁ、本当に身代わりになってくれたんやな。車っちよ、ありがとう。
もしスピードが出ていたら。
あと何十センチずれていたら。
もしかして死んでいたかもしれないけれど、ぴんぴん生きている。
いつもはうっかりのんびりしてしまって、考えすら及ばないけれど、生きていること自体奇跡の連続が重なり合って、全然当たり前のことではなかったりする。
今日もまた偶然の重なりで生かされていて、生きている。
せっかく生かされているいのちを、さぁ明日はなんに使おうか?
って、明日はこれ↓
ラジオまつり〜。
目の前にやってくることだけに注力して、他者の欲望は「へぇ、そうなんだね!」と脇に置いて、自分軸で生きられてる、生かされてると感じられるこのところは、吉凶混交でも概ね愉快。
さて、お祭りを楽しもうぞ。
地域の人を「巻き込んで」。
Comments