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伯父が死んだ

  • 執筆者の写真: medicaproject 医療福祉ライター今村美
    medicaproject 医療福祉ライター今村美
  • 7月27日
  • 読了時間: 2分
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伯父が死んだ。


伯父には、私たち姉妹は滅法可愛がられた。

それこそ目に入れても痛くないって、こんな感じかってほど可愛がられた。


従姉弟たちとは10歳以上離れていて、就学する頃にはもう成人していたから、従姉兄たちにも可愛がられた。


小学校入学のときに従姉にお祝いにもらったトマトの人形のカタチの鉛筆削りは、それはそれはお気に入りだった。


毎週末、伯父のところを訪れるのが習慣になっていて、行けないと、「ちっとも連れてこん」と母は叱られた。


寮のある高校に入るために実家を出ることにしたときも、東京の大学へ行くことにしたときも、「可愛い娘をそんな遠くに出すなんて母親失格」と母は叱られたが、「だれもがやりたいと言うわけじゃない。やりたい子にはさせたらいい」と飄々と交わしてくれた結果、いまがある。


そんな伯父も90歳を超えた。

肺炎で入院したものの生還して、100歳まで生きるような気がしていた矢先、あっという間に逝ってしまった。


子ども好きの伯父は、中3のわが娘のことも実の孫みたいに可愛がってくれたから、娘は伯父が大好きで、だれもお迎えに行けないときは学校から歩いて行ける距離にある伯父の家に嬉々として遊びに行く。


すると従姉がわが家まで送ってくれる。


両親のみならず、実家の離れに住む妹夫婦や伯父伯母や従姉まで味方に、みんなで子育てできる福岡での環境は、どんなに夫が子育てに協力的でもワンオペ育児にならざるを得なかった山梨時代よりも、子育てという点においてはなんだかんだ愉快。

(夫にすぐにギューとチューできないのだけがデメリット。ドラえもーん、どこでもドア、プリーズ!)


伯父が安置された控室の扉の前で「かなしい」と部屋になかなかに入れず、ポロポロ涙をこぼして号泣する娘。その様子に大人はもらい泣き。


初日もお通夜の後も、みんなで夕飯を食べて、わいわいがやがや。


「あんたたちが福岡におってくれたけん、さみしくなくて済んだ」と、普段は小言ばかりの母にしみじみ言われて、娘がいじめに遭ったり不登校になってみたりへんてこりんな学校でへんてこりんな経験に遭遇してみたり、なんやらかんやらいろんなことを得ての想定外の福岡出戻りだったけれど、さみしいを一緒に分かち合って、愉快を増やすことに私たち親子が存在できているなら愉快。


さて、明日はいよいよ、本当にお別れ。



 
 
 

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