top of page
  • 執筆者の写真medicaproject 医療福祉ライター今村美

書くということ。

脳性麻痺の友人の本を出版したい…ではなく、出版する、ことを知ってもらおう!という意図で始めた、noteというメディアでの毎日note。一日にこんなにもたくさんの人たちが文章を書いておるのか!とびっくりしたし、珠玉の文章であふれていて、これ以上私が文章を書く必要なんてなくないか?という気持ちに陥ってしまいがちだったり、変に誰かの言葉にひっかかってしまったり、妙に時間と気持ちが持っていかれがち。出版という目的がなかったらもっと早くに止めていた気がするけれども、いずれにせよ、戦略なく毎日noteを書き続けることで無意識にすり減っているものとの天秤にかけて、一旦撤退。


とはいえ、毎日何か書くという習慣をやめてしまってはもったいない気がするので、止まっていたblogを再開することにしたわけですが、ライターでもジャーナリストでもなんでもいいんだけれど、書く人としてのアイデンティティが揺らぎまくったこの数ヶ月。


じゃあ、書かんのか?と言われたら、このモノ・ヒト・コトのことを伝えたい!というモノ・ヒト・コトに出会い続ける限りは、やっぱりなんだかんだ書いてしまうんだろうね、という結論に至る。


素敵なモノ・ヒト・コト

美しいモノ・ヒト・コト

がんばってるモノ・ヒト・コト

孤高なモノ・ヒト・コト

痛みを抱えるモノ・ヒト・コト

かぶいてるモノ・ヒト・コト

おもしろいモノ・ヒト・コト

ワクワクするモノ・ヒト・コト


は、あふれちゃってんのよ、世の中に。

最新記事

すべて表示

Yesしかなかった

福岡へ転校のきっかけとなった、フィンランド教育や対話や多様性を謳うちょっとへんてこりんな学校の、最後にとてもお世話になった担任の先生が学校を辞めていたことを知って、娘とその学校の話になる。 「はい、か、Yesしかない学校だったよね」と私がいうと、 「Yesしかなかったよ」と笑う娘。 笑ってネタにできるほど、過去を過去に、娘はちゃんと「今」を生きている。 一方、笑ってネタにしているようにみせかけて

祖母と母と娘と

いじめやら不登校やら自由を謳うへんてこりんな学校やら諸々を経て、結局当時小6だった娘からの「ばあばの家から近くの公立小に通いたい」のひとことに、「その手があったか!」と、私たち夫婦始め周囲の大人がその案に乗っかり、子どもたちの教育環境を変えるために、13年住んだ山梨からメイン拠点を福岡に移して1年半。 中学卒業後に一旦家を出て寮生活をスタート、一時的に家から通った後に、高校3年から一人暮らしを始

bottom of page