私が大学を一年休学して、ヨーロッパを遊学したちょうど20年前。
イギリス滞在期間6か月中、日本に帰る前の数週間だけ、語学学校に通いながら、ロンドンに滞在した。
日本ではバブルの残り香がまだ少し漂うその頃の、ロンドン市内の語学学校は、ほとんどを日本人学生が占めていた。100%日本人、という学校もあって驚いた。
日本人ばかりの語学学校で、日本人ばかりの寮に住み、一日のほとんどを日本語で過ごしている「留学生」の姿は、「あの人ら、なにしにきてるの?」とほかの国から来た留学生たちに呆れ顔で見られていて、私はロンドン中心からは少し離れた一番日本人の少なそうな語学学校を選んだ。あの頃一番の「お客さん」だった日本人の姿はたぶんもうない。
この前の大学院の授業の講師は経済学者の井出英策氏で、いかに日本が貧乏になったかを改めて認識した。私が成人式を迎えて、それと同じくらい生きたこの20年くらいの間に、日本は、どんどんどんどん、どんどんどんどん、貧乏になっていった。
収入でいえば1997年をピークに減少、世帯収入はこの20年で2割近く低下しているという。
つまり、日本全体が「お金持ち」だったのは、21年前。
一部の人だけお金持ちになっていくのに、全体としては貧乏になっていく。つまり、貧乏な層が拡大している上に、お金持ちとの差はどんどん開いていく。
たとえ`運よく’一見「お金持ち」の層に入れたとして、`運悪く’病気やけがで働けなくなりました、収入がなくなりました、なんてことにでもなったら、あっという間に貧乏の仲間入りができるのがいまの日本。
シングル家庭の経済は、「働いたほうが貧乏」で、生活保護世帯の経済のほうが潤ってしまうというのがいまの日本。
アベノミクスだなんだといったところで、潜在成長率は0%台、成長戦略ではアカルイ未来が描けないことなんて、もうみーんなわかっている。はず。(でも一部のお金持ちは、さらにお金持ちになれたかな)
"「だれかがしんどい」から「みんながしんどい」社会へ”
これはある意味フェアな社会?
もうそろそろこんなしんどい社会は終わりにしたいけれど、おそらく私もこの層に分類されてしまうのだろうと思う「弱者に優しい左派・リベラル」は、「置き去りにされた『中間層』」の気持ちを汲み取り損ねるばかりか、むしろ怒りや不満を増幅すらさせかねない。「弱者に優しい左派・リベラル」の言葉は、一番厚い層の人たちのこころに届かない。授業で一番打たれたのは、こんな感じのことを話されていた下りやもしれん。
「きれいごと」や「正論」は、胡散臭い。
そんなことわかってる。
ならば、どんな言葉なら届くのだろう?
多くの国民の政治や国への不満は怒りを通り越して、もはや深ーい諦念につながっていることは想像に難くないのだけれども。でも、いま、何かアクションを起こさなければ、これからの20年は、フトコロもココロもますます貧しい日本へと、ころころ転がっていくばっかりなんだろう。そんなのは困る。本当に困る。