介護者がつくる認知症情報誌『でぃめんしあ』の最新号No.8が届く。

ページを開いてすぐが私の担当するフォトエッセイ。

「寝たきり」の言葉が目にばーんと入ってくる。
まぎれもなく私が書いたエッセイである。
「寝たきり」という言葉への違和感が昨年末この原稿を書いた時点ではまだ自覚されていなかったことへの驚き。
多くの高齢者は「寝たきり」になるわけじゃあない。 「寝かせきり」にされるから、「寝かせきり」にの人生を送ることになっているだけだ。 あぁ、でもこのエッセイで伝えたかったことは、その人にとっての最適解を大事にしたいということ。 いま現在「寝かせきり」状態にある人たちにも「尊厳」(※この言葉ももっとふさわしい表現があるような気がしている)はあるし、中には自らの意思で「寝たきり」になったとしても生きていきたいと思う人だっているだろう。多くの人は最期の時を住み慣れたわが家で過ごしたいと願っているかもしれないけれど、みんながみんな、自宅で過ごしたいと思っているわけでもたぶんない。
だから、このエッセイでの「寝たきり」はもっとポジティブな意味合いを含む。
でも、「寝たきり」という言葉へ自覚的になったいま書くとしたら、このエッセイの表現はきっと違うものになっていたに違いない、とも思う。 『でぃめんしあ』No.8。 今号も巻頭エッセイのほか、『認知症ケアの知恵「こんなときどうする」』『介護のミカタ』のページを担当してます。
