top of page
  • 執筆者の写真medicaproject 医療福祉ライター今村美

保険外サービスと公文と富士山荘


昨年末に鳴沢にある特養・富士山荘の施設長と認知症カフェを通じて知り合ったことから見学へ。 富士山荘では保険外サービスとして公文を取り入れている。

公文というと、小学生が親に言われてしぶしぶ通い、しぶしぶ毎日プリントをこなしているうちにまぁ学力はついているよね的なものだと解釈していたのだけれど、高齢者向けにもサービスを展開しているという。

はて、どんなものか?と思っていたらば、私の2倍以上の人生を生きている女性が20代のスタッフ先生を前に背筋をぴっ、「生徒」になって学んでいらっしゃる姿は予想に反して感慨深かった。

いまの80歳代以上だと、学校に行けず、「学校」というものに対する憧れのようなものを抱いている方も少なくない。生徒になる疑似体験を味わえる公文は、案外悪くないのではと公文への印象が変わった。 もちろん世代にもよるだろうし、人にもよるだろうから、合わない方には合わないサービスだろうけれど、マッチして「楽しみ」になっていらっしゃる方もおり、中には家で宿題までやってこられるほど熱心な方もいるという。これが普段あまり話さない息子や孫とのコミュニケーションツールになって、家族の会話が増えたというケースも。 結局のところどんなサービスも「人とのかかわり」を生んでいるかというところが大事なんだろう。 実際、プリント自体も回想法ではないけれど、自分の幼いころを思い起こさせるようなストーリーで「私が小さな頃はこんなだった」「そういえば昔はあんなことがあって」と若いスタッフに昔のことを伝えつつ、会話のきかっけになっていくことも少なくないという。 プリントによる脳の活性化で認知症予防にも・・・という謳い文句もあるにはあるだろうけれど、富士山荘ではスタッフが1対1だったり、2対1だったりで公文に対応しているため、普段座って話す時間をなかなか取れない中、しっかりそのおひとりと向き合う時間になっていることも大きい。結局のところ、つまり、コミュニケーションツールとしての公文。 普段誰にも言えずにいる家族への不満なんかを吐き出してくれることもあり、それが日々のケアにつながっていく。 たったおひとりのためにスタッフが専属となって時間をとられてしまう痛手や保険外サービスであるがゆえに「どうしてあの人だけ」という不公正さも生んでしまう課題をもってしても公文を取り入れるわけは、そこにある。

ちなみに保険外サービスについては厚労省が下記のようなガイドブックを出しており、公文も紹介されている。

http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12300000-Roukenkyoku/guidebook-zentai.pdf

施設長は、先生役のスタッフ1人につき多数の生徒という、学校形式のデイサービスである「おとなの学校」も見学をされ、内容もとてもよかったそうだけれど、初期投資が500万ですって。それはハードル高いわ・・・

最新記事

すべて表示

老人ホームに住んでみた。

もう小5になる娘が1歳半〜2歳頃、ひょんなことから老人ホームに住み込み取材することになった。 2歳下の妹が入院していた病院で同室になった人が老人ホームの経営者で、新しく有料老人ホームを開設するという。話を聞いていると、認知症があろうがなかろうが、出入り自由(※入居者や利用者が自由に出入りができる施設はそう多くはない)。図書室にギャラリー、カフェ、食堂があり、入居者や関係者でない地域住民も出入り自由

どこにだって行ける。

特養で働く知人と話していたら、「離職がハンパない。ひどいありさま」という。 彼女は小学生のこどもがふたりいるので、歩いても行ける距離ということで、その職場で看護師として働いているが、楽しくない職場に居続けるケア職はこれからますます減っていくだろう。 いまのケア職たちは、SNSでつながって、「あら、こんなところに素敵な職場が!」と情報を得て、全国どこでも自分に合いそうな職場を選ぶことができる。 藤沢

命の沙汰は運次第?!

受けられる医療はどこに住んでいてもだれにとっても同じクオリティが担保されるべきだけれども、正直、命の沙汰は金だけでなく、残念ながら運次第と思えることは少なくない。 よい医者にめぐりあうも運。 命が助かるかも運。 こんな側面があるのは、残念ながら現実だ。 そもそも医療資源の単純な問題で、たとえば脳卒中を起こした時に迅速に医療機関にアクセスできる地域に住んでいるのか否かは大きいし、NICUのある地

bottom of page