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  • 執筆者の写真medicaproject 医療福祉ライター今村美

内藤いづみ先生のホスピス学校

内藤いづみ先生のホスピス学校。

タイトルは「死は人生で最も大切なことを教えてくれる」。

今回のゲストはシスターの鈴木秀子先生。

ホスピス学校には、内藤いづみ先生が看取りをした方々のご遺族もたくさんいらっしゃる。会そのものが、先に逝ってしまった人を偲ぶグリーフケアの役割を果たしているのだなぁと実感する。

鈴木秀子先生のお話の中で、ある一人のシスターのお話。

非の打ちどころのない素晴らしい「聖人」のような方と皆に慕われたシスターは、死に逝く間際、部屋に入ってくる人に「この馬鹿者めが」とおっしゃるようになった。

「和やかに穏やかに逝くのがいいというけれど、暴れたり暴言を吐いたりして、抑圧してきたものを吐き出してすっきりして旅立つ、その人なりに自分らしさを出してバランスを取って旅立つのがよい」という秀子シスターの言葉に、あぁ、なるほどなぁと思う。

人生の最期は、周りにいる大切な人たちとの「仲良し時間」、人と人とのあたたなつながりの時間であってほしい。でも「仲良し時間」は、時には抑圧から解き放たれて、バランスを取ろうとする当人にとことん向き合わなくてはならない、厳しい時間でもありうる。

だから、困難を抱えていたり、死の間際だったりで苦しむ人のそばに寄り添う人は「吸いこんではいけない」のだという。「その人に必要な過程を経ているのだと、ただただ一緒に感じながら、そばにいるだけ。解決してあげるのではなく、その人が乗り越えていけるようにそばにいる。すべてのことは意味があって起こってくる」。

ここのところ心の表面が波打ってざわざわしていたのだけれど、心の深いところにある深海のような静けさを思い出させてくれる、素敵なホスピス学校でした。 ホスピス学校を終え、自宅へ帰ると、娘が発熱。

翌日日曜は「お母さんそばにいて。どこにも行かないで」という発熱体の娘のそばで、ホスピス学校で買った鈴木秀子先生の本を読みながら、うっつらうっつら。気が付けば、ほぼ一日娘と一緒に寝てました。ひさびさにまともに眠ったなぁ。PCを全く開かない一日なんていつぶりだろう。

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