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隠された怒りとジャーナリズム

February 9, 2018

先週末は日本ジャーナリスト協会の医療ジャーナリスト基礎講座へ。

これまで一匹狼と言いますか、一人淡々と、独学で?、仕事してきましたが、今年は「学び、実践する」がモットー(あと、実践のための仲間を増やす!)。4月からの大学院もその一環。

第1回は、4月からの師でもあるゆきさんこと大熊由紀子氏。タイトルは、「鳥の目、虫の目、疑う目」(当日はこれに'歴史の目’が加わり、サブタイトルに'~想像力と度胸~'がついていました)。

 

講座の中で心に刺さったのは、既存の言葉を疑ってみるということ。

終末期、特養待機者、寝たきり老人、徘徊、抑制、認知症患者、国民負担率、受け皿、ワクチン、IC、COIなどが例に挙げられていましたが、たとえば特養待機者という言葉。
別に当のご本人は率先して特養に入りたいわけじゃない。できることなら入りたくないし、むしろ住み慣れたわが家で暮らし続けたい。つまり別に待ってなーい!

にも関わらず、そんなに待機者がいるのならば、もっと施設を増やさなくては・・・というお役所的発想にも結びつく。
これを「在宅支援不足者」「在宅支援待機者」と言い換えたならばどうだろう?
在宅を支える人材と仕組みをつくらなくては!となるのではなかろうか、と。

一方で、参加していた同業者の方々とのグループワークでは、「たとえば『徘徊』という言葉を使いたくなかったとしても、WEBメディアではより一般に普及した言葉で検索される傾向にあるため、情報を届けたい人に届けるためにはその言葉を使わざるを得ない現状もある」。

 

既存の言葉を用いながらも、その言葉自体を言い換えていく作業が求められていると思う。

 

ジャーナリストの提言が社会を動かす原動力になることもあると、自らの経験も踏まえたゆきさんの講義はとっても刺激的でした!

最後に、当協会の会長である水巻中正先生の「ジャーナリストに必要なのは好奇心と隠された怒り」という言葉もしっかり心のノートにメモ。課題山積みの医療・福祉の世界にあって、なんとかしようとしている人たちへの'好奇心'と、当たり前が当たり前でないことがたくさんある医療・福祉の世界への'隠された怒り'。

 

介護の(現在の)スタンダードだと多くの人が思っているものは、決してスタンダードではない。私がこれまで取材してきた施設や介護事業所は確かに志が高く、全国での「先進事例」といわれるようなところばかりかもしれないけれど、一人ひとりの人生に、生活に寄り添うという当たり前のことをしているだけだ。もちろんそれは素晴らしいことだし、そう思うからこそ取材にもいく。だけれど、当たり前が「先進事例」といわれるジレンマ。「理想だよね」の言葉で片付けられてしまうことへの憤り。彼らこそがスタンダードで、決して理想ではない、と胸を張って言いたいから、4月からまた大学院へ通って学びを深めることにしたとも言える。


あなたなら自分の大切な人たちをを「寝かせきり」にしたいだろうか?
自分が認知症になったとき、身体拘束をされたり、精神病院に閉じ込められたりしたいだろうか?
認知症と一緒に自宅や高齢者住宅で、自分のペースで毎日を生きて、自分の好きなことをしたり、好きなものを食べたりして生活し続けている人たちのこともたくさん知っているから、やっぱりそちらを「スタンダード」と呼びたいし、「スタンダード」にしたい。
 

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