ガキを漢字で書いて餓鬼。
息子が所属するサッカークラブの試合の送迎で子どもたちを乗せて片道50分弱を往復。
車の運転が苦手な人にとって、よそさまの子どもたちまでを乗せての送迎は神経消費量半端なし。
それにしても、男子ってやつは。
行きはほぼ初めましての私におとなしかったBoysも帰りは本領発揮…本性を表し始めるw
25年前、19歳から20歳になる年のこと。
当時彼らは13歳、10歳、7歳、いや8歳だったか?
3人の男の子のいるイギリス人家庭で9ヶ月間、生活をしたことがあったことを思い出す。
部屋の掃除や洗濯物程度の簡単な家事でいくらかをいただきつつ、住み込みで生活をさせていただいた。
子どもたちが学校から帰ってきて、父親が帰ってくるまでの数時間を宿題見たりしつつ、一緒に過ごすのがメインの役割。
母親はすでに病気で他界していた。
週に1回渡されるお金を貯めて、1ヶ月に1〜2回、子どもたちをスクールバスへ見送ったのち、片道1時間くらい電車に乗ってロンドンへ行き、ランチをして(時折日本食が恋しくて和食レストラン行ったりもしつつ)、ミュージアムやギャラリーをハシゴし、本屋で本を買い、子どもたちの帰りのスクールバスに間に合うように帰ってくる。
聖書を読んで、本を読んで、アートに触れて。
ひたすらものおもいに浸ることのできた、貴重な時間だったなぁと、いまになってみれば思う。
かつ、いま息子の子育てをしていてもあんまり驚かんで済むのは、あのとき3人の子どもたちとガッツリ生活を共にしたからとも言える。
「子どもはたちは…可愛さ余って憎さ百倍。時折、ガキを餓鬼と書いて呼びたくなる衝動に駆られます」的なことを日本にいる友人への手紙に書きなぐって送るくらいには、彼らは可愛くもあれば、ときに手にあまる「餓鬼」どもだった。
とりわけ一番下は、フロに入るのも死ぬほどイヤだし、ときにはフロにう⚪️こ浮かんどるし、それ掃除すんのわたしだし!と!!!
ごきげんに一緒に遊んでくれることもあれば、とんでもなく敵意を示されることもあり。
母的なものをほっしていて、いつもわたしにやさしくしてくれた次男も、兄弟げんか勃発となれば、いつものやさしさは吹っ飛んでしまっておったし。
当時思春期の長男はいまでこそ一番の仲良しだけれども、心を開いてもらうまでに一番時間がかかった。
さて、サッカーの送迎。
後部座席で、「それってイジメじゃないの?」「イジメじゃないし」と、おばちゃんからしてみればイジメ認定したくなるラインスレッスレで進行する男子たちのやり取りを半ば聞き流しつつ、時折茶々いれつつ、イギリスにいたあの9ヶ月に想いを馳せる。
イギリスの3兄弟は、IT技術者になったり、医者になったりしつつ、父親にもなり、なんだか「餓鬼」なんてことばからは程遠いジェントルマンたちに育ち、いまも親交は続く。
後部座席でいじわる投げ合ってる彼らもきっと、素敵なジェントルマンに育つと信じていよーっと。
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