ここのところ、本格的に時間に追われる生活に、ブログの更新が滞りがち(-_-;)
今週の大学院ゼミの講師は、ホームレス支援始め、目の前にいる困ったを抱える人をサポートするうちに、子育てやら障害やら、ありとあらゆる福祉,活動に包括的に取り組むに至った牧師の奥田知志さん。
元SEALs奥田愛基さんの父親でもある。
講義後、なんというか、ここのところ答えが出せずにもやもやしていたいくつかのことへの答えが見つかったかのような、とても晴れやかな心持ちで帰途についた。
やまゆり園事件以来、殺人犯となってしまった彼の行為は決してゆるされるものではないし、怒りを覚える一方で、彼の思考がまったく理解できないかといえば、自分の中の闇を見る。たとえば重度の身障者に生まれて、生きることの意味を問うた時、正直うまく答えられない自分がいた。だから、奥田牧師の「生きていることに意味がある」にズドンと射抜かれた。そうだよ、「生きているいのちに意味がある」。答えはいたってシンプルだ。
研究においても、質的研究にロジックモデルを当てはめることの違和感が拭えずにもやもやしていた。アウトカムは大事。結果も大事。だけれど、ピシッパシッと引かれた枠からこぼれ落ちるものの中にも、むしろ、そこに焦点を当てて、浮かび上がらせることに、質的研究の強みがあるのではと、そう感じていることが奥田牧師の講義を聞いていてよくわかった。問題解決が最終ゴール、目的なわけじゃない。対象に「伴奏」することで見えてくるものを言語化し、可視化し、論文という形式に則って差し出した結果が問題解決の糸口となるのであって、求める結果から逆算していくやり方は、どうやら私の求めるものではなさそうだ。