「住んでいる市の中学生が校舎のトイレで首吊り…いやー、美都ちゃんが娘ちゃんとバリに行った時にはへーっとぼんやりしてた私だけど、ほんと、子どもに、ここだけが世界じゃないんだよ、ってそうでもしなきゃ伝わらないかもなぁと。」
東京で暮らしていた時、ルームシェアをしていた大の親友から届いたメール。彼女も未就学児の母親だ。
ピカピカの小学一年生を無事に終えた娘が年長さんの時、教科書も宿題もない南アルプス小学校から八ヶ岳サドベリースクール、甲府にある私立の山梨学院小学校、果てはバリのGreen Schoolまで、いろんな小学校を見て回った。
日本の公立学校に蔓延していそうな閉塞感に危機感を抱いていたからだ。
これからの子どもたちが生き抜くための未来にカリキュラム対応していない。
英語やプログラミングという表層的な部分をいくら強化しても、中身がつるつるてんでは意味がない。 そもそも公立学校の職場は、周囲の友人たちを見ていても、長時間労働とクレーム対応に追われる超ブラック企業。働く先生たちの心身が健やかでなければ、子どもたちによい影響が与えられるはずがない・・・etc.
いろいろな学校を見て回った後に「どの学校に行きたいと思った?」と娘に尋ねると、「お父さんとお母さんの両方の傍にいたいから、近くの公立小にする」との答えが返ってきた。
私自身、Green Schoolの突き抜けたあり方を体感し、日本のどの学校を選んでも五十歩百歩に思えてむしろすっきりしていたので、娘の選択を尊重することに異議なし。
また、いろんな学校を見て回った結果、「どんな学校を選んでも結局は周囲の大人次第」というところにたどりついたからでもある。
環境はもちろん大事だ。与える影響は大きい。 しかしながら、たとえGreen Schoolを選んだとしても、子どもの近くにいる大人が従来の偏差値主義の教育観から抜け出せていなかったとしたら、子どもを測るものさしが変わっていなかったとしたら、どんなに素晴らしい環境も力を発揮できない。
大事なのは周囲の大人の姿勢なのだと痛感するからこそ、私は毎日人生を謳歌することに余念がない。大人になるのも悪くないよ、人生って結構楽しいよ、と。
そして、目の前にある世界がすべてでないことを伝えたいから、Green Schoolのファミリーキャンプにも参加すれば、ぐるんとびー(藤沢市の団地にある小規模多機能ホーム)に一緒に住み込み取材をしたりもする。学校が世界のすべてでないことを知っていれば、ほかにも居場所はいくらでもあることを知っていれば、たとえ困難な状況が訪れたとしても、「死」という選択からは全力で逃れてくれるだろうと切に願うから。