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執筆者の写真medicaproject 医療福祉ライター今村美

戦う人。from Care Week 2018

Care Week 2018@東京ビッグサイトへ。

お目当ては、あおいけあ代表・加藤忠相さんの講演。

映画『ケアニン』のモデルともなったあおいけあの加藤さんと言えば、NHKや朝日新聞といった大手メディアでも取り上げられ、一般の方にもその名が知られるようになった介護業界の「旬な人」という立ち位置なのだろうけれども。

そんなことはさておき、加藤さんは、やっぱり、「戦う人」だった。

何度か原稿も書いていて、加藤さんの想いやあおいけあのことは多少は知っているつもりになっていたのだけれど、実はこれまで加藤さんがオフィシャルで話されるのを聞く機会がないまま、ここまできてしまった。

インタビューを通じて抱いていた印象は、たくさんの仲間も味方もいるには違いないけれど、「孤高の人」。 革命を起こそうとする人は、孤独だ。味方も多くなるけれど、味方の分だけ、いや、味方以上に、敵(じゃないな、革命後の世界を思い描けない人や現状維持したい人や諸々)も多くなる。

わざわざ矢面に立って、砲火をあびる役割なんて誰もしたくない。少なくとも私はヘタレだから、そんな恐ろしいことしたくない。自分の手の届く範囲が幸せならまぁいいかと、自分の殻に引きこもって、おかしな自己暗示で自分を説得しようとするに違いない。

でも、加藤さんは、やる。想像していた以上の強烈なファイターであることを知る。

1963年に老人福祉法ができたとき、求められていたのは「療養上のお世話」だった。

でも、2000年に介護保険がはじまったとき、介護に求められるのは「お世話」から「自立支援」に変わった。その後、「尊厳」が加わり、「地域包括ケア」「地域共生」へと移行しているにも関わらず、いまだに老人福祉法時代の「お世話」を「介護」だと思って提供している施設・事業所は少なくない。

タイムスケジュールにのっとって、配食、おむつ交換、入浴・・・のどこに介護の専門性があるのか。介護職の専門性が発揮できないような仕事ばかりを業務として行っているから、介護離職をする若者が後を絶たない。「おじいちゃんおばあちゃんが好きだから」あるいは「人の役に立ちたいから」という思いで介護職を目指した若者が数年で辞めていってしまう不幸。

また、認知症についても認知症という病気があるわけではない。ましてや、徘徊や弄便といった周辺症状といわれるものは認知症の症状ですらない。 トイレに行きたい時に行かせてもらえず、いきなりおむつを余儀なくされたら?不快だから、おむつを脱ごうとはしないだろうか?

視線も合わせず遠くからなにかを言われても、耳の遠いお年寄りはそもそも自分に言われていることであるとすら認識できない。突然不快なことをされるから、拒否する。暴れる。暴れるからと身体拘束をして、ますます問題となるような行動が起きる。

だけれど、プロとして専門職が適切なケアを行うなら、お年寄りにとって適切な環境が整えられるなら、目の前に現れるのは「ただのふつうのおじいちゃんおばあちゃん」だ。

と、加藤さんの指摘は、ごくまっとうであるがゆえに、突き刺さる。

ゴミ屋敷に住んでいたおばあちゃんが、家族に暴力をふるっていたおばあちゃんが、どこにでもいるふつうのおばあちゃんになって、にこにこ穏やかに毎日を暮らせるようになった事例を、あおいけあに限らず、いろんな介護現場で見てきた。

だから、加藤さんが語る現実は、理想なんかではなく、現実だということに大いに同意する。

「介護に出会うと不幸になると皆が思っている。でもそうではない介護があるはず」なのだ。

加藤さんは当たり前の現実を語る。でもそれは介護の現場の人たちに夢物語のように聞こえてしまう。それどころか怒ってしまう人だっているだろう。加藤さんの話を聞いて耳が痛い、真っ向から否定された気持ちになる介護事業経営者は少なくないと思う。 でも、加藤さんは語る。「私たち、トップが変わらなければならない」と。

これ以上、不幸なお年寄りを、不幸な介護職を増やさないために。

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