medicaproject 医療福祉ライター今村美
ワーク"アズ"ライフのススメfrom落合陽一著『超AI時代の生存戦略』
またひとり、友人が「今年いっぱいはがんばるけど、来年度は仕事はもう無理だと思う」という。 わが夫同様彼女の夫も朝は7~8時台から夜は早くて22時、23時、0時なんてのもざらという‘企業戦士’という言葉がぴったりの働き方をしている人の一味だ。 「フルタイムで働いて、家事も育児も全部やっていても感謝されるどころか、'はやく仕事をやめてほしい’」 夫側からしてみれば、そりゃあそうだろうなぁと思う。起きている間のほとんどを働きまくって疲れまくっている。妻が仕事をしていることで出てくる'負担'なんぞそもそも背負う余裕すらない。自分の稼ぎだけで十分生活できるのだ。なぜ妻が働く必要あるの?だから協力はしないよ、と。 わが夫が例外的に家事にも育児にも'できる限り'、しかも’いやいや’ではなく自然体で協力的なのは、超ネガティブ思考だからにすぎない。(とはいえ、そもそもどんなに協力したくとも、家にいないので、平日は必然的に90~100%の割合で家事育児を私が担当することになる。もっとも育児は日中のほとんどを'外注化'しているし、料理は仕事の合間の息抜きだし、家事育児も押し付けられてやっている感は特段ないが。) 夫はたぶん日本という国のことは深く愛していると思われるけれど、そもそも日本という国に未来はあまりないと思っている。自分にいつ何が起きても子どもたちの教育の機会が奪われないようにすることと、自分たちの老後を自分たちでまかなうことを考えれば、いち早くそれなりの資産形成をしている必要があるし、いざという時は諸外国に逃げられるくらいの資産はないと困る。リスクヘッジの観点からも「あなたも早く同じくらい稼いでください」という思考になる。 私自身は「ほしいものが手に入るなら、なんなら物々交換でもいい」という思考の人なので、'お金’を稼ぐことへの執着がぶっちゃけ薄い。いざというときに助けになるのは「人と人との縁」だとも思っているので、仕事を通じて得ようとしているのはお金というよりも人的資産なのだろう。 どこまでが仕事で、どこまでがプライベートで、どこまでが仕事のお付き合いで、どこまでがプライベートな友人か、という線引きも、年々薄まっていて、もはや仕事をやめるやめないという発想自体がない。仕事も育児も家事もぜんぶごっちゃになっているけれど、もはや遊ぶように仕事をし(仕事はもちろんきっちりやりますが)、仕事をするように遊び、家事も育児もその延長線上にある。 そんなことを考えている矢先に、本屋で手に取った落合陽一氏の『超AI時代の生存戦略』。「「ワークライフバランス」なんて考え方はちゃっちゃと捨てて、これからの時代は「ワーク'アズ'ライフ」だぜ~!」てなことが書かれていて、我が意を得た気分。 AIが記事を書いたり、小説を書いたりすることが可能になった時代において、AIにも書けそうな文章を書いている時点でライター業も廃業しなくてはならないのだろう。生き残れるライターになるには、生存戦略をしっかり考えなくてはならんのだろうけれど、目の前に現れる楽しそうなことやワクワクすることに首を突っ込んでいるうちに、なんとかなっちゃったなぁ~なんて甘い話は転がっていないものだろうか、とつい妄想してしまう。こんなだから、夫に「あなたはお金がかかることが好きなのに、お金を稼ぐことに執着がなさすぎる。あなたの大好きな歌舞伎や落語に出てくるどこぞの放蕩息子ですか」としょっちゅう説教される羽目になるんだな、ハイ。