WEDWIG、またあなたに出会える日が来るなんて。
寺山修司の没後20年記念公演として上演された『青ひげ公の城』での主演によって、寺山修司に見出されて寺山作品映画の主演でデビューした俳優であったことを知った三上博史という異才。
それまでよい役者さんだよな程度の認識だったのが、舞台で目にした三上博史にすっかり魅了されていたわたしが迷わず『WEDWIG AND THE ANGRY INCH』を観に行ったのは2004年のこと。
数えてきたわけではないから正確にはわからないけれど、500本以上は観てきた舞台の中でもベスト10には入るMy favorite。
場末のライブハウスで繰り広げられるHEDWIGのロックライブ。
ライブ中の語りと歌から、ライブに足を運んだお客さん、つまり私たちロックミュージカル『WEDWIG AND THE ANGRY INCH』の観客はHEDWIGの歩んできた人生を知ることになる。
冷戦時代の東ドイツに生まれたHEDWIG少年は、母親と二人貧しい暮らし。
自由の国アメリカへと渡るために、アメリカ兵と結婚するために、性転換手術を受ける。
ところが、股間にはANGRY INCHが残ってしまう。
女にはなりきれなかった。でも男でもない。
男で女で、女で男で、男でも女でもあって、男でも女でもない。
東と西。西と東。
2つを分ける壁は壊されたのに、むしろ見えない壁は人々のこころの奥深くに。
見えない壁のほうが壊すのはもっとむずかしい。
男で女で、女で男で、男でも女でもあって、男でも女でもない。
WEDWIGという存在が語る物語に、高らかに歌い上げる歌に、20年前に激しく共鳴した20代半ばのわたしは、妻になることも母になることも決してないだろうと思っていたのに、妻になり母になった。
でも、妻になろうが、母になろうが、ANGRY INCHを抱えたWEDWIGに激しく共鳴するひとのままで、なんだかほっとした。
メイクを落として、わたしからぼくへ。
最後は、三上博史そのひとが歌うという今回の演出からは、男だろうが女だろうが、ANGRY INCH抱えていようがなんだろうが、「そのままの自分を愛していい」というメッセージをより強固に感じられたように思う。
HEDWIGで三上博史で三上博史でHEDWIGからの「大丈夫、大丈夫」。
「また会おう」が10年後なのか、20年後なのかわからないけれど、きっと「大丈夫」。
そのときも、ばばあになっても、WEDWIGに共鳴するひとのままであり続けられますように(共鳴するひとのまま、幾分かは大人になれていますように、笑)。
でも、たぶん、きっとどう転んだって「大丈夫」だ。
また会う日まで。
やっぱりHEDWIGは三上博史でなくっちゃ。
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