山梨の自宅から福岡へと帰る前日、子どもたちが同じ時期に在籍していたかなりへんてこりんな学校で苦楽を共にした友人から、「読んでみて」と渡された一冊.
帰りの飛行機で一気に読んでしまった.
友人親子&私たち親子が経験したことがそのまんま書かれている本で、登場人物の名前が異なるだけで驚くほどのシンクロニシティに眩暈を覚えたほど.
新しい教育実験でもなんでもなくて、もうすでに実験済みで答えも出ているお話を、40年近く経って、違う地域で違う登場人物で、また繰り返していただけだったんだなぁ.
本にして出版せざるを得なかった母親グループの気持ちが痛いほどよくわかる.
あの実験校での2年間は、娘を強くたくましくしてくれたし、親子共々大切なつながりもできた.
私たち親子にとってはもう過去のことで、あぁよい経験だったねぇ!と、あっけらかんと話すこともできる.
けれど、まだ終わらせられないでいる友人たちの傷に触れるたび、古傷がチクチクと痛む.
子どもたち以上に深い傷を負ったのはむしろ大人たちだったのではないかと思う.
すっかり癒えた気になっている傷は、ふとしたところで顔を出しはするけれど、もうこの問題に対してなにかアプローチする気はないし、繰り返すけれど、私たち親子にとっては終わったことだ.
友人たちの傷が一日でも早く癒えるようにと耳を傾け、まだ戦っているのなら早く戦いが終わりますようにと祈り続けはするけれど.
あのとき、訴える声に耳を傾けないことが、盲目に信じる信者になるかあるいはみてみぬふりをすることのほうが、大人として正しく賢い選択のようだったし、おそらくある文脈においては正しい振る舞いだったのだろう.
でも、できなかったし、しなかった.
6年生の夏、
「福岡のばあばの家の近くの小学校に通いたい」
と、娘が出してくれた助け舟.
その手があったか!と、救われたのは母親の私のほうだった.
いまだにあのひとことにどれだけ救われたかと想いを馳せる.
選択した道を私たち親子の正解にしていくいまの道中は、いろんなことがありながらも概ね愉快.
それにしても、それなりに鮮烈な経験だったにもかかわらず、いまだに本当にあった出来事なんだろうか?と狐につままれたような気持ちになるくらいには、へんてこりんな学校だったし、へんてこりんな経験だった.
出会えてよかったし、経験できてよかった.
だけれど、子どもたちの学びの場である教育現場での、ああいう類の実験の歴史は繰り返されんでもよかろうと思ってしまうのも事実.
歴史からぜひとも学びたい.
せっかく本に残してくれた有志たちもいるのだから.
We're always on your side, Ms .
I never forget you told my daughter, ' you have a heart of gold'.
Yes, she's been keeping it.
I believe we could see you again.
Hope to be safe and peace.
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