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後悔していることはなんですか?

執筆者の写真: medicaproject 医療福祉ライター今村美medicaproject 医療福祉ライター今村美

目に入ったお誕生日占いサイトを何の気もなしにうっかりやってみたらば、


「報われてこなかった部分も大いにありますよね…。

後悔している選択や行動もあるでしょう。」


とあって、数日前の唐津でのイベントで、参加者の一人が「人生で後悔していることはありますか?」とおっしゃっていたのを思い出す。


その日集まった参加者たちはそれぞれに愉快に豊かに人生を送っている人たちが多かったというのもあろうけれど、「最終的には後悔していないかも」という声が多々。


さて、もちろん、人生においてはうまく行ったことばかりでもなく、報われなかったことも多々あるだろうけれど、やったことへのやったなりの結果がそのまま出ているだけなので、報われなかったというよりは妥当だなぁと思う。占いのいうように、言い聞かせて納得しようとしている面はなくはないのかもしれんけど、やはり、「妥当だよね」という実感でしかない…


むしろ、この大学でこれを学びたい、この大学院に入りたい!、この人と結婚したい、ナドナド、本当に自分がこころから望んだ、ここぞというこれだけ、は、ハズさずにきてしまったので、選択や行動を後悔するというよりも、「本当に望んだものではなかったんだな」という結論に至って終わる…だけ…だったりもする。


イベント主宰のみっちゃんの「本気で進めばかならず叶う」ではないけれど、根本的に本気は叶うと私も思っている。


よって、後悔している選択や行動は…とりたてて思いつかない。

やり残していることがあるのなら、いまとこれからの人生で本当にやりたきゃやればいいだけだし、妥当以上のものを本当に手に入れたければ、妥当以上のことをやるだけのことだろう。


手に入ったかもしれない成功のことを考えて、選択や行動を後悔することはたぶんない。

だって、それこそなんか的外れというか、ズレているといいますか。

妥当な結果に対してなにかいうことなんてありませんよね?としかならない。

ほしいもの、必要なものがあるのなら、それに見合った選択や行動をしてなんぼ。 それがより器の大きな願いならば、量も質も問われるだけのこと。

やらなかった選択や行動に対して、得られなかったと嘆く意味がわからん。

単に量か質か、その両方か、足りなかっただけのことだ。

あるいは単に本気の願いではなかった。


ただ、いずれにせよ、凡庸な人生であれ、大成功する人生であれ、どちらの人生も同じくらい愛しむだろう。大きな差は、たぶんあるようで、ない。


一瞬、占いなんぞやってしまった選択と行動には後悔しそうになったけれど、よい思索の時間が思いもかけず得られたから、まぁよしとしよう。


でもこの続きの結果はぶっちゃけもうどーでもいいかもしれん(笑)

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