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なぜ彼女との会話には気を遣わないのか?

執筆者の写真: medicaproject 医療福祉ライター今村美medicaproject 医療福祉ライター今村美

私には脳性麻痺の友人がいる。

彼女の名前はともっちさんこと山下智子。


肢体不自由で言語障害があり、24時間365日のフルサポートを必要とする。

重度の障害者。

でも、自立生活を始めて25年目。


やりたいと思ったことにはなんでもとことん挑戦するから、元世界水泳記録保持者だったり、ボッチャの初代チャンピオンだったり、やることなすこといろんなところで記録を打ち出してきたし、社会を変えてきた。


ヴェルディのJリーグ開幕時からの追っかけで、ヴェルディの黄金時代を支えた選手たちと顔見知りになっていく中で、チーム運営にもちょっとした革命を起こしてきた。

ヴェルディのホームゲームでは車いす利用者一人につき介助者一人は無料で観戦(付き添い)ができるようになっているが、これもともっちさんが運営側に掛け合って、見事その権利を獲得した結果だ。


彼女と知り合ってから、まだ1年ちょっと。

「ライターなんだから、私の本を書いて。障害があっても愉快に生きられることを世に伝えられる本、書いて」と、彼女の家でビール片手に話しているときに言われて、「いいよ。おもしろそうだし」と答えたことがきっかけで、彼女の本を出版するために目下奔走中なわけだけれど、それにしても不思議なことが一つ。


普段、がん患者さんや不登校の子どもを持つ親御さんといった、割と繊細な状況にある人たちの話を聞くことが多いこともあり、人と話をするときにはむちゃくちゃ気を遣う。

障害のある人と話をするとなると、自分の発する言葉が相手を傷付けないだろうか、不快にしないだろうかと、それはそれは気を遣う…


はずなのだが、ともっちさんに対して、「これを言ったら失礼かも?」「あんなことを言ってしまって不快な気持ちにさせてしまったのではないだろうか?」なんてことを考えることは皆無。


こんなにも気を遣わずに話ができる相手も珍しくて、狐につままれたような気分にすらなる。


おそらく彼女の人への壁のなさ、遠慮のなさ(一方で、そうして強く主張してこなくてはやりたいことがやれなかったことの表れでもある、おそらく)が、私にある種の安心感を与えるのだと思う。


この人になら何を言ってもちゃんと嫌なことは嫌だと言ってくれるし、その言葉に表裏はない。思ったことを思った瞬間に思った通りに伝えてくれることへの、絶対的信頼感と安心感。行間を読む必要も、裏を読む必要もない。


「あぁ、そうか、それがイヤなんだ!」と、サクッと受け止めて、「次回から気を付けるわ!」であっさり終了!


彼女とのコミュニケーションは痛快で心地よい。


一緒にいたいから、一緒にいる。

一緒に本をつくりたいから、つくる。


私は彼女と一緒に本を世に送り出す。

たくさんの人たちの力を借りながら。

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