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March 17, 2018

昨日に続き、落合陽一氏の『日本再興戦略』より、リーダー論。

社会構造が非中央集権化するにあたり、求められるリーダー像も、これまでのマッチョで強いリーダー1.0から、リーダー2.0へと変わるという。

リーダー2.0の条件は、3つ。

1つ目は「弱さ」=共感性の高さ。

2つ目は「意思決定の象徴と実務権限の象徴は別でいい」=つまり何でも一人でできるリーダーである必要がない。

3つ目は「後継者ではなく後発を育てる」=「自分の後を継ぐ人ではなく、新しいジャンルや会社を新しくつくっていくような人材を育てられる」。

「リーダー2.0はバンド」とした上で、

「リーダー2.0に大切なのは愛されることです。カリスマというと憧れみたいな感じなので近寄りがたい。愛されるのはもっと貴重で、「この人が地球上からいなくなってしまったら、寂しい」という感情です。
 愛されるためには、「自分は何でもできる」と言ってはいけません。つまり、偏りのある人、ある分野にとても才能があるけれども、全然だめなところもあるような人のほうが周囲が手を差し伸べやすいですし、バンドとしてもうまくいきやすい」

と続く。

これを読んでいてまっさきに思い出したのが、目下おっかけをしている(主な取材対象である)藤沢市の『ぐるんとびー』、代表の菅原さん。

まさにリーダー2.0!(←※むっちゃほめてます)

菅原さんがリーダー2.0的であるだけでなく、ぐるんとびー周辺では、大企業の社員やベンチャーの経営者が社外取締役として関わっているとか、『日本再興戦略』に書かれているようなことが実際に起きていて、親和性が高いなぁと読みながら始終ぐるんとびーのことを思い出していた。

リーダー2.0が代表を務めるぐるんとびー、これからの展開がますます楽しみすぎる!

March 17, 2018

愉快。痛快。

たまたま駅地下の本屋で手に取った本著。

落合氏の本はちょっと手に取ったつもりが数ページめくるとレジに向かう羽目になって困る。

彼の本を読んでいると、ドーパミンがどばどば分泌されている感じがする(笑)

読中のワクワク感、読後の幸福感ときたら。

脳みそってこんなふうに使うんだなぁ。
真のエリートって、こういう人のことをいうんだなぁ。

悲観論でいっぱいの日本だからこそ、落合氏のような知性が登場してくるのだろうと思う。

彼の日本の現状把握と分析、描く未来予想図には、共感しかない。

英語教育一つをとっても落合氏は、

「発信する内容もないのに、英語を学んでも意味はありません。むしろ、グローバル人材という言葉が広がったことで、グローバルに話ができるトコロテンみたいな人(右から左に流すだけの人)が増えただけで、その分、実はコミュニケーションスピードが遅くなっています」(p59より引用)

と語る。

トコロテンって~(笑)

私自身は、英語を話せることよりも、それが英語であっても構わないけれど、深く思考できる(たとえば、落合氏の本を読みこなして、実際の行動に移せるレベルに思考できる)言語をひとつは持っていることが重要だと考えている。
ただし、英語だけという幅のない世界はくそつまらないし、日本語という言語が大好きなので、自身の子どもたちの言語も、最終的には自分たちが選択することなので強制はしないけれども、英語含めた他の言語よりも日本語であってほしいなぁとはうっすら思う。

この思考に基づき、いずれ翻訳機能が追い付いてくるとはいえ、現時点では英語を話せたほうがいいことは間違いないので、子どもたちにもある程度の英語教育は施すのだろうけど、それ以上に日本語教育を強化するのだろうな、たぶん。

大体、大学時代よーいドンで中国語を学び始めた友人たちが中国へ留学して、卒業後には仕事で使いこなすレベルで話せるようになったのを見てきたこともあり、言語はその気になればいつからだって遅くないという実感もある。

本当のところを言えば、「必要だと思った時に必要な言語を学べばいいんじゃない?」と思っている。

結局のところ、「重要なのは、英語そのものではなくて、発信すべき内容があるかどうかなのです」という落合氏の言葉に尽きる。

ほかにも共感痛感箇所は多々あって、いたるところに付箋だらけ。

「ホワイトカラーのおじさんたち」のくだりも...

March 4, 2018

またひとり、友人が「今年いっぱいはがんばるけど、来年度は仕事はもう無理だと思う」という。

わが夫同様彼女の夫も朝は7~8時台から夜は早くて22時、23時、0時なんてのもざらという‘企業戦士’という言葉がぴったりの働き方をしている人の一味だ。

「フルタイムで働いて、家事も育児も全部やっていても感謝されるどころか、'はやく仕事をやめてほしい’」

夫側からしてみれば、そりゃあそうだろうなぁと思う。起きている間のほとんどを働きまくって疲れまくっている。妻が仕事をしていることで出てくる'負担'なんぞそもそも背負う余裕すらない。自分の稼ぎだけで十分生活できるのだ。なぜ妻が働く必要あるの?だから協力はしないよ、と。

わが夫が例外的に家事にも育児にも'できる限り'、しかも’いやいや’ではなく自然体で協力的なのは、超ネガティブ思考だからにすぎない。(とはいえ、そもそもどんなに協力したくとも、家にいないので、平日は必然的に90~100%の割合で家事育児を私が担当することになる。もっとも育児は日中のほとんどを'外注化'しているし、料理は仕事の合間の息抜きだし、家事育児も押し付けられてやっている感は特段ないが。)

夫はたぶん日本という国のことは深く愛していると思われるけれど、そもそも日本という国に未来はあまりないと思っている。自分にいつ何が起きても子どもたちの教育の機会が奪われないようにすることと、自分たちの老後を自分たちでまかなうことを考えれば、いち早くそれなりの資産形成をしている必要があるし、いざという時は諸外国に逃げられるくらいの資産はないと困る。リスクヘッジの観点からも「あなたも早く同じくらい稼いでください」という思考になる。

私自身は「ほしいものが手に入るなら、なんなら物々交換でもいい」という思考の人なので、'お金’を稼ぐことへの執着がぶっちゃけ薄い。いざというときに助けになるのは「人と人との縁」だとも思っているので、仕事を通じて得ようとしているのはお金というよりも人的資産なのだろう。

どこまでが仕事で、どこまでがプライベートで、どこまでが仕事のお付き合いで、どこまでがプライベートな友人か、という線引きも、年々薄まっていて、もはや仕事をやめるやめないという発想自体がない。仕事も育児も家事もぜんぶごっちゃになっているけれど、もはや遊ぶように仕事をし(仕事はもちろんきっ...

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