Follow Me

May 8, 2018

長期休みに子連れで住み込み取材したり、大学院通ったりなんぞしていると、よっぽど「自由な奥さん」に見えるのか、「理解のある旦那さんですね」という言葉をよくかけられる。

そのたびに「理解」という言葉にひっかかって、「理解」という言葉をもう一度飲みこんでから、「ありがたいですよね~」等々の言葉が出てくる。

確かに「理解のある旦那さん」なのだろうけれど、夫からは「僕は妻の仕事やライフスタイルにこんなに理解があるんです」的な前のめりな要素はまったく感じられない。

そもそも子連れで取材したり大学院へ行ったりすることに、パートナーの「許可」も「理解」もいらない。と言いたいところだけれど、相手のライフバランスに影響しているのも間違いないので、さすがにそうとも言えない。

でも別に「理解」しているから協力的なわけではなく、パートナーの仕事やらなんやらで「家事育児不可」という事実に対して、必要に迫られて淡々と家事育児を担っているだけだ。多くの妻たちがそうであるように。

一方、1週間のうち、週4~5日は夫の協力はほとんどなし、ワンオペ育児をしているにも関わらず、夫が「理解のある奥さんですね」と誰かに言われるかと言えばもちろんそんなことはなく、むしろ「妻の大学院」という理由で定時に帰らなくてはいけなかったり、週末に「妻の仕事」で家事育児担当になることも少なくない夫は、「お前、大変だな」と同情されることのほうが多い。たぶん。

パートナーシップのあり方は人それぞれだから、妻がワンオペ育児で夫はひたすら仕事に邁進していても、パートナー間で不平不満なく、お互いが心穏やかに豊かな人生が歩めているよというのであれば、それもよし(ただし、たとえ本人がよしとしていても、DVとかはもちろん論外)。

あなたのパートナーシップはそうで、私のパートナーシップはこう。お互い満足しているから、まぁいいよね、というだけの話である。他人と比べるものでも何でもなく、それぞれのカタチを尊重すればいい。

とはいえ、やりたいことだらけの私が、とりたててやりたいことがないという夫から、「やりがい搾取」ならぬ「やりたいことないゆえの搾取」している感は否めないので、わが家のパートナーシップは大いに改善の余地ありであることは認めざるを得ない。

March 4, 2018

またひとり、友人が「今年いっぱいはがんばるけど、来年度は仕事はもう無理だと思う」という。

わが夫同様彼女の夫も朝は7~8時台から夜は早くて22時、23時、0時なんてのもざらという‘企業戦士’という言葉がぴったりの働き方をしている人の一味だ。

「フルタイムで働いて、家事も育児も全部やっていても感謝されるどころか、'はやく仕事をやめてほしい’」

夫側からしてみれば、そりゃあそうだろうなぁと思う。起きている間のほとんどを働きまくって疲れまくっている。妻が仕事をしていることで出てくる'負担'なんぞそもそも背負う余裕すらない。自分の稼ぎだけで十分生活できるのだ。なぜ妻が働く必要あるの?だから協力はしないよ、と。

わが夫が例外的に家事にも育児にも'できる限り'、しかも’いやいや’ではなく自然体で協力的なのは、超ネガティブ思考だからにすぎない。(とはいえ、そもそもどんなに協力したくとも、家にいないので、平日は必然的に90~100%の割合で家事育児を私が担当することになる。もっとも育児は日中のほとんどを'外注化'しているし、料理は仕事の合間の息抜きだし、家事育児も押し付けられてやっている感は特段ないが。)

夫はたぶん日本という国のことは深く愛していると思われるけれど、そもそも日本という国に未来はあまりないと思っている。自分にいつ何が起きても子どもたちの教育の機会が奪われないようにすることと、自分たちの老後を自分たちでまかなうことを考えれば、いち早くそれなりの資産形成をしている必要があるし、いざという時は諸外国に逃げられるくらいの資産はないと困る。リスクヘッジの観点からも「あなたも早く同じくらい稼いでください」という思考になる。

私自身は「ほしいものが手に入るなら、なんなら物々交換でもいい」という思考の人なので、'お金’を稼ぐことへの執着がぶっちゃけ薄い。いざというときに助けになるのは「人と人との縁」だとも思っているので、仕事を通じて得ようとしているのはお金というよりも人的資産なのだろう。

どこまでが仕事で、どこまでがプライベートで、どこまでが仕事のお付き合いで、どこまでがプライベートな友人か、という線引きも、年々薄まっていて、もはや仕事をやめるやめないという発想自体がない。仕事も育児も家事もぜんぶごっちゃになっているけれど、もはや遊ぶように仕事をし(仕事はもちろんきっ...

February 25, 2018

わが家にはテレビがない。
結婚した当初はそれなりに大きいやつがどーんとおいてあったのだけれども、ほとんど見ないのにスペースとして占拠され過ぎで割に合わん!ということで友人にあげてしまった。

以来、気が付けばもう何年もテレビがない。

テレビがない代わりに夫自作のスクリーンがある。よって、週末は家族で映画鑑賞会をすることが多いのだけれど、今週末も娘の希望で先週に引き続き『うさぎドロップ』(←わが家に原作がある。ちなみに夫の)2回目。

娘は新しい映画を次々に観たいというよりも一度観ると同じものを何度も観たがる。さすがに親のほうは『うさぎドロップ』を2回観る気もしなかったものの、妥協案で『うさぎドロップ』を観た後、『海街diary』の二本立てをすることに。

『うさぎドロップ』は、ひと言でいうと、じいちゃんの葬式で、じいちゃんが養子にしていた子ども・りんを引き取ってきた独身男・ダイキチの子育て悪戦苦闘記の映画版。

原作に忠実な系統の映画ではないのだけれども、それはさておき、りんちゃん役、芦田愛菜ちゃんだったのねー。やっぱうまいわー。というのもさておき。ダイキチのセリフの中には共感するものもあり。だいぶ間違えて覚えているかもしれないけれど、だいたいこんな感じ。

「親になると強くなるもんだと思ってた。でも違うんですねぇ。臆病になるんですね」
「こんな小さいのいたら、びびって当たり前。・・・イライラして当たり前」

本当にね。強くもなるんだけれど、臆病にもなるんだな、これが。

ちなみに、その後の海街diary、夫と配役についてあーだこーだ言いながら観ているうちに、母途中で寝落ちる・・・チーン。(子どもたちは最後まで観ていて、娘曰く『海街diaryも気に入った』。)また次週に続く・・・

February 23, 2018

「うちの娘がね、跳び箱が飛べなくて。クラスで毎日一人ひとりと飛べるようになっていって、あと飛べないのが2人とかになっても、『今日は○○君、飛べたんだよ!』と喜んでるんだよね」

という友人の話から盛り上がった現代の子どもたち談義。

このエピソード、わが娘にも思い当たるふし多々。プールで顔もつけられなかった娘は潜って(ゴーグル使えば)目が開けられるようになったり、ビート板でバタバタできるレベルになんとか達しているようなのだけれど、よく一緒にプールへ行く一つ年下の仲良しさんは25mをスイスイ泳いでいる。が、娘、さして気にする様子もなく「○○ちゃんね、25m泳げるんだよ!すごいよね!」と報告してくる。

そんな話をしていたらば、

「いまの子どもたちって、個人差はもちろんあるだろうけど、競争心があまりなくて、○○ちゃんは△△が上手で△△くんは□□が上手みたいな感じで、自分とほかの子をあまり比較しないで、素直に喜べる子たちが多いんだって。クラスの担任の先生がそれがいまの子どもたちの特徴で、いまの6年生の子たちよりもいまの1年生の子たちほうがその傾向が強いと言ってたよ」

と聞いて、大いに納得。

負けず嫌いな部分はあるんだけれど、それは他人との比較というより、自分の目標値との差異で生まれている感じがする。

なにやらスピリチュアルな話に聞こえてしまうかもしれないけれど、子どもたちを見ていると、魂がいまの大人(世代)より高次元なところから始まっている印象があったから、友人の話はすーっと心に入ってきた。

いま時代は不穏な流れも含めて、大きく変わろうとする過渡期?変革期?にあるような気がしているのだけれど、新しい時代の子どもたちは、新しい時代のマインドセットを持って生まれてくるのだなぁ。医療福祉分野から見る未来の日本は、ネガティブ要素満載だけれど、未来は、たぶん、暗いばっかりでもない。

Please reload

  • Grey Facebook Icon
  • Grey Twitter Icon
Featured Posts

#私を構成する8性格と「ぼっち力」。

September 22, 2018

1/10
Please reload

Archive
Please reload

医療福祉ライター今村美都のブログ

Daily Life

山梨県南都留郡

忍野村忍草

  • White Facebook Icon
  • White Twitter Icon

© 2017 by Medica Project created with Wix.com