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April 11, 2018

桜井さんは、キャンサー・ソリューションズという会社の代表取締役、つまりしゃちょーさんである。


キャンサー・ソリューションズ。
文字通り、がんの課題を解決していこうぜ!と、がん患者の就労支援や啓発のためのイベント開催、がん教育プログラムの提供などなど、幅広い活動から、がんに関する啓発と情報発信を行う会社だ。


桜井さんは設計事務所でバリバリ働く37歳のときに乳がんが見つかった。

その経験からキャンサー・ソリューションズを立ち上げた。

『あのひとががんになったら』は、自身の経験を踏まえ、でも独りよがりならぬ「がん患者よがり」にならない、客観的なデータを交えた情報提供と、がん患者とその周りにいる人たちにとって「こんな情報がほしかったのよ!」とかゆいところに手が届くような情報提供が、ほんわかあたたかい語り口でなされていて、さすが桜井さん、と思う。

がん関連の本や情報には、がん告知を受けて、こころもからだも不安だらけのがん患者さんやその周りにいる人にとって、「百害あって一利なし」というものも少なくない、というのが残念ながら現状だ。ある段階では有効だけれど、まだ受け入れられる段階でない情報というものも多分ある。

でもこの本なら、どんな状況にある、どんな人にの心にも寄り添って、がんと適切に向き合うためのヒントを授けてくれるのではないだろうか。


あの人ががんになったときだけでなく、

あなたががんになったときにも、
そして、まだがんとは無関係と思っているあなたにもおすすめしたい一冊。



 

April 10, 2018

文科省の「多様な新ニーズに対応する「がん専門医療人材(がんプロフェッショナル)養成プラン」に採択され、平成30年度より国際医療福祉大学大学院もコースを開講したという。

「ライフステージに対応したがんプロフェッショナル多職種協働人材育成コース」と「ゲノム解析医療・希少がん診療に精通した医療者育成コース(インテンシブ)の2コース。

要請する人材像が「多職種協働による機能的なチームを作り、ライフステージに対応したがん治療にあたり、患者支援、家族、支援者支援、グリーフ・ケア、ターミナルケアまでの広範な対応ができる専門医療職」とあったので、てっきり対象は医療従事者かと思いきや、なんと本大学院の修士・博士課程の学生であれば履修できるという。
(が、ゲノムのほうは基本的に博士課程)

がんプロフェッショナル、毎週土曜朝9時に赤坂というのはかなりハードルが高いのだけれど、がんは私の大きなライフワークテーマのひとつ。

履修しないわけにはいかないよなぁ。
が、毎週土曜に授業となると、夫負担の増加は避けられない・・・(-_-;)
 

March 2, 2018

今日は医学ジャーナリスト協会による医学ジャーナリスト基礎講座の第3回目。
「日本のがん医療と報道」と題して、講師に勝俣範之先生の登場とあってとっても参加したかったのであるが、今年は役員を担当している育成会の総会と重なって断念。

それにしても2月はガン・がん・癌なひと月だった。
仕事柄、取材を通じてがん経験者の方々と交友を持つことは多いし、残念ながら逝く姿を見送る機会もたぶんほかの同世代よりも多い。

が、2月は大学時代からの友人のがんによる死を突然知らされるわ、別の友人からがんの再発を知らされるわ・・・

一方で妊娠により子宮頸がんが発覚、流産死産の経験を乗り越えて出産したことの報告があるわ・・・。
(妊娠&子宮頸がん発症からしばらくはしょっちゅう電話で話を聞いていたものの、流産数回以降1年超連絡がとれなくなっていたところを、突然の「今朝出産しました」。メールの文面を見た瞬間の衝撃はきっとずっと忘れない。出産1週間後に電話をくれた際に「(死産したこともあって)両親にすら言わなかった」と出産の時までひとり抱えていたことを知る。「あまりにも大変すぎると人には言えなくなる」の言葉に、「相談できる人」にはまだアクセスできるけれど、より一層誰かのサポートが必要と思われる「相談できないほどの状況におかれた人」にはアクセスしづらいという件について考えさせられる。)

皆、普段からの友人で、しかも40歳前後の同世代。がんは私たち世代にとっても決して遠い世界の話ではないことを改めて痛感する。


昨年末にひっかかった乳がん検診は、たしかにしこりはあるものの悪性度は高くなさそうだということで半年後に再診だけれど、半年ほうっておいてよいのか?という不安がむくむく。

手強いのはなにもがんだけではないけれど、やっぱりがんは手強い病気だ。ゆえに情報も多ければ、迷いも多く生じがち。勝俣先生の話、聞きたかったなぁ!

 

February 14, 2017

腹膜がんを告知されてから2年半。叔母が逝ってしまった。
 

お正月に私たち家族は帰省しなかったけれど、今年は親族の集まりに叔母も顔を出していて(低空飛行ながらも安定していて)元気やったと母から聞いて安心していた矢先の訃報。

急に痛みを訴えて病院へ駆け込んだのが5日の日曜日。そのまま入院し、7日に系列のホスピス緩和ケア病院へ転院してから1日ちょっと。あっという間、だけれど家族にとっては長い長い4日間だったと思う。この間、2人の息子たち(私にとっては従兄弟)と叔父が交代で24時間叔母に付き添い、小さな子どもを2人抱える従妹も車で1時間の自宅から何度も往復し、わが父母含め親族たちもできる限り叔母の側に寄り添った。

叔母を見送って改めて感じたのは、ホスピス緩和ケア(病院)=最期の場所という認識の根強さ。結果的に叔母がホスピス緩和ケア病院にお世話になったのは2日間。主治医から「長くいる人もいれば、そこから戻ってくる人もいる。決して最期のためだけの場所ではない」と勧められても頑なに拒み、主治医の説得や実際に見学に行く中でようやく'緩和ケアとはどんなものか'という認識を改め、「次の抗がん剤治療を受けたらお世話になろうと思う」と話していたという。ちなみに、最期まで「死にたくない」と生きる希望を強く抱いていた叔母は、最後の最後まで抗がん剤治療を望んでいた。

叔母に限らず、叔母を緩和ケア病院に見舞った妹が耳にした、入院中の患者さんが病院内を歩いているのを見て、ほかのお見舞いの方が発した「一人で歩きよってん人もおらっしゃるとね」の言葉からも緩和ケア病院がどんなふうに認識されているのかがよくわかる。同じくがんで逝ってしまった幼なじみのお父さんもホスピス緩和ケア病院を勧められた時、「あそこにはいかん」とやはり頑なに拒んでいたというから、地域の人たちの緩和ケア病院への認識が伺える。

がんの痛みは適切にコントロールされるべきものだし、最期だけでなく初期から緩和ケア医療が適切になされるべきという認識が一般に普及してきていると思っていただけに、あぁまだまだなんだなぁと私自身も再認識。

それにしても。「闘病」という言葉には違和感があったけれど、叔母の2年半を振り返ると、穏やかな時間も楽しい時間もたくさんあったには違いないけれど、やっぱり「闘病」という言葉を当てはめてくなってしまう。特に最期の4日間はがんという...

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