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May 31, 2018

前々回で天狼院書店について書いたのだけれども、ライティング講座よりも、そもそも書店としてのあり方のほうがとても気になる。

HPをのぞくと、「天狼院書店が提供するのは、「READING LIFE」という新しいライフスタイル。「本」だけでなく、その先にある「体験」までを提供する次世代型書店です。」とある。

ライティング講座提供しているだけでなくて、フォト部とか漫画ラボとか、なにやらおもしろそうなイベント盛りだくさん。

なんだよ、こんな本屋、すぐ近くにほしい。東京じゃあ、そんな簡単には行けねぇよ!

てか、そもそも近くに素敵な本屋がなさすぎる!(あ、絵本はてんさらばさらがあるな。古本屋なら不二御堂もある。けど……)

目下、全国に5店舗、東京に3店舗、福岡、京都。

それなりの大きさの都市ばかりだから、富士北麓地区くらいの人口ボリュームではキビシイのかもしれないけれど、観光客は結構やってくるのだもの。

天狼院書店×うなぎの寝床富士山分室みたいなコラボのお店、リアルにできないもんか。

May 29, 2018

昨日は息子のようちえんの遠足。

バスに乗り込み、いざ出発。

先生の「まずは朝のご挨拶をしましょう。みんな、なんて言うか知ってるかな?」に張り切って手を挙げる息子。先生に指されると、元気よく、「わかりませ~ん!」。

のっけから、逆方向に大張り切り(-_-;)

えぇえぇ、さすがにあなたとのお付き合いも4年目に入りましたもの。お母さん、予め覚悟はできておりましてよ!

いざ動物園につき、はじめの数十分こそ仲良しのお友だち親子と一緒だったものの、これまた予想通り暴走。わが道をずんずん突き進む息子を追いかけるのに必死。せっかくの遠足にお弁当を息子とふたりで食べるもやむなし・・・と諦めかけたところを運よくお友だち親子のグループが通りかかり、一緒に行こうと誘ってくれたので、ふたり寂しくのお弁当は避けられました(笑)

そして、やってきました、最後のお土産タイム。なんと息子がほしいと手にとったのは、3000円超の動物のフィギュアセット……。さすが、お目が高い! と言いたいところだけど、よりによってそれか! いらねー! てか、3000円はさすがに高すぎ! 交渉を重ねるも、何時間も走り回っているのだもの、疲れはマックス。聞く耳を持っているはずもなく、穏便な交渉は決裂。「お金がないから買えない」で通しきって、お店を出たものの、母の疲れもマックス!

息子を見ていると、就学前までの娘が本当に大人にとって都合のよい手のかからない子だったことを痛感する。(まぁ、小学生になった途端、いろいろと心配事は増えているし、そもそも「大人にとって都合のよい手のかからない子」がよいのかは大いに疑問だけど。)

帰りのバスは、もちろん爆睡。帰りのバス前半は母も爆睡。高速インターでのトイレ休憩に、疲労困憊した心を立て直すべくコーヒーを買おうとしたらば、スタバ発見。カフェラテを注文して待つ間、TSUTAYAとコラボした店だったため平積みされた『10年後の仕事図鑑』をも発見。ホリエモンと落合陽一のコラボって、そりゃあ買っちまうでしょ!

というわけで、帰りのバス後半は、爆睡する息子の傍らで、カフェラテ片手に一気に読んでやりました~。まぁ、息子が息子なら、母も母ね(-_-;) 

結局のところ、ホリエモンとか落合さんみたいな頭の使い方する人間が嫌いでない、というより、むしろ好き。いや、かなり、好き、と言ってもいいかも。

「お金のことは気にせず好き...

May 28, 2018

天狼院書店というところがやっているライティング講座の特別編「スピードライティング講座」というのを通信で受講してみた。

考えてみれば、これまでまともにライティングについて教えてもらったことがない。

2500字を20分で書くというのだけれど、いつも書くスピードよりもちょっと速いくらいスピードだなぁと思いながら、課題に取り組む。

書きたいことは山のようにあると思っていたけれど、いざ書き始めると1500字とか2000字いかないくらいで筆がパタリと止まる。いつもは4000字くらいが通常の原稿量だから、よく考えてみれば不思議な話なんだけれど、2500字を20分というスピードでやろうとすると、やっぱり止まる。

書いては捨て、書いては捨て、どのテーマも大して書きたいことがないのかも? なんて思いながら、今日は娘が学校をお休みしてしまったこともあり、疲れて一緒に寝落ちてしまい、起きたら課題提出時間をちょうど過ぎた0時。結局、提出しそびれた。

で、途中まで書いては捨てた原稿を見ていて感じたのは、天狼院店主で講師の三浦崇典氏はスピードライターで、40分5000字で書いたほうがクオリティが上がるタイプなのは間違いないのだろうけれど、私がそのスピードで書こうとすると、かなり意地の悪い文面が並ぶことになる。私の地の性格の悪さが全面に出てしまう、ということ(-_-;)

結局、それぞれのスピードがあるから、早けりゃいいってもんでもないのだろう。

まぁ、早く書けるにこしたことはないし、時間かけりゃいいってもんでもないのは間違いないけど。

そして、ほかの方の書いている原稿を読んでいて感じたのは、みんなレベルが高いなぁということ。もう、ライターなんていらんのじゃなかろうか。

改めて、ライターの、ライターとして以外の生き方の出口戦略を考えなくては!と危機感を煽るには、とても有効だった。

May 26, 2018

小2の娘に夫が「わかめちゃんもいつかはふらふら~と出ていって、お父さんはひとりぼっちになるんでしょうね」というので、「私がいますけど? 子どもたちが旅立っても、最後まで残ってるのは私だよー」と横やりを入れたらば、「この中で一番ふらふら~っと旅に出そうなスナフキンは誰でしょう?」と夫。

「お母さ~ん」と娘と息子の即答する声が重なる。

「スナフキン! 褒め言葉じゃん、それ!」と喜んでいたらば、夫と娘から「いや、褒めてないし」と、これまたハーモニー。なんなんだ、この夫と娘の連帯は。

そもそも夫と娘はなんか似ている。心優しく、とても気配りができる人間かと思いきや、案外人の心や状況を読むのは下手くそ。肝心なところで読み違えて、妙な誤解を招いたりする。

ただ、彼らの元から備わっている天性の優しい人間っぷりは、私のように、気配りや優しさをあとからインストールして、いちいち学んで経験値を上げて行かないとアウトプットできない人間からしてみれば、あんたたちスゴイね、と純粋に尊敬するところでもある。

「まぁまぁ、最後はまたふたりになるんだから」との私の言葉には、「最後は人間ひとりですよ」と返された。

もしパートナがいたとしても、通常は、どちらかが先に死んでしまうわけで、どちらかは残される。たとえ子どもがいたとしても、最期の時にそばにいてくれるかなんてわからない。人間は生まれて死ぬまで本当は結局のところひとりなのかもしれない、とも思う。でも、そのひとりとひとりがつながって、たくさんのつながりの中で生きていけば、ひとりだけどひとりではなくなるってことはありえるってことなんだろうと思う。そのつながりは、別に、わかりやすく「家族」である必要もない。

スナフキンはひとりが似合うけれど、でもひとりぼっちって感じはさらさらしない。

ふらりふらりと旅に出ていったとしても、帰ってこられる場所がある。

ムーミン谷は、いつもスナフキンの帰りを待っている。

May 23, 2018

「そんなにピーピー泣いてばかりでさ、男の子は勇敢でないとダメなんだよ」。

とは、娘が息子に発したひと言。

確かに最近の息子はちょっとしたことでピーピーとわずらわしい。めんっどっくさ~とは母だって思っている。

が、この言葉は聞き捨てならない。

思わず、「なんで男の子は勇敢でないとダメなの?わかめちゃんが勇敢でもいいじゃん」と横やりを入れると、「はぁっ?わかめは女の子なんだから、優しい人になるんだよ」という。

思わず「はぁっ?男だろうが女だろうが勇敢なほうがいいし、優しいほうがいいんじゃないの」と勢いで言った後に、「いや、そもそも男だろうが女だろうが、勇敢な必要もなければ、優しい必要も別にないんじゃないの~?」と修正を入れる。

子育てをしていると、こういうステレオタイプが自分の中にもたくさんあることに改めて気が付くことは多い。自分の中にもあるけれど、子どもの口から出てくると、私のセンサーがぴきぴき反応する。

男だから女だから、男らしく女らしく、男は○○女は□□・・・。

あなたたちからこれらの言葉が出てきたときには、お母さんは聞き逃さない。

ことあるごとに、投げかけてやる。「WHY?」って、な。

大人げないけど、いいんだよ。これはお母さんにとってとっても大事なことだから~。

男だとか女だとか、そんなことに絡めとられない、本当に勇敢で本当に優しい人たちになってほしいからね。そして、なりたいからね、お母さんが、そんな人に。

May 22, 2018

私が大学を一年休学して、ヨーロッパを遊学したちょうど20年前。

イギリス滞在期間6か月中、日本に帰る前の数週間だけ、語学学校に通いながら、ロンドンに滞在した。

日本ではバブルの残り香がまだ少し漂うその頃の、ロンドン市内の語学学校は、ほとんどを日本人学生が占めていた。100%日本人、という学校もあって驚いた。

日本人ばかりの語学学校で、日本人ばかりの寮に住み、一日のほとんどを日本語で過ごしている「留学生」の姿は、「あの人ら、なにしにきてるの?」とほかの国から来た留学生たちに呆れ顔で見られていて、私はロンドン中心からは少し離れた一番日本人の少なそうな語学学校を選んだ。あの頃一番の「お客さん」だった日本人の姿はたぶんもうない。

この前の大学院の授業の講師は経済学者の井出英策氏で、いかに日本が貧乏になったかを改めて認識した。私が成人式を迎えて、それと同じくらい生きたこの20年くらいの間に、日本は、どんどんどんどん、どんどんどんどん、貧乏になっていった。

収入でいえば1997年をピークに減少、世帯収入はこの20年で2割近く低下しているという。

つまり、日本全体が「お金持ち」だったのは、21年前。

一部の人だけお金持ちになっていくのに、全体としては貧乏になっていく。つまり、貧乏な層が拡大している上に、お金持ちとの差はどんどん開いていく。

たとえ`運よく’一見「お金持ち」の層に入れたとして、`運悪く’病気やけがで働けなくなりました、収入がなくなりました、なんてことにでもなったら、あっという間に貧乏の仲間入りができるのがいまの日本。

シングル家庭の経済は、「働いたほうが貧乏」で、生活保護世帯の経済のほうが潤ってしまうというのがいまの日本。

アベノミクスだなんだといったところで、潜在成長率は0%台、成長戦略ではアカルイ未来が描けないことなんて、もうみーんなわかっている。はず。(でも一部のお金持ちは、さらにお金持ちになれたかな)

"「だれかがしんどい」から「みんながしんどい」社会へ”

これはある意味フェアな社会?

もうそろそろこんなしんどい社会は終わりにしたいけれど、おそらく私もこの層に分類されてしまうのだろうと思う「弱者に優しい左派・リベラル」は、「置き去りにされた『中間層』」の気持ちを汲み取り損ねるばかりか、むしろ怒りや不満を増幅すらさせかねない。「弱者に優しい左派・リベラル」の言葉は、一番厚い層の人たちの...

May 21, 2018

気前がいい人、太っ腹な人には、こちらもどーんと気前がよくなって、「いいよいいよ」とどんどん差し出したくなって、あげられるものは全部あげるよという気になって、差し出してもちーっとももったい気がしないということが起きる。

一方で、相手のこころがけちんぼだと、こちらも「なんかこの人にあげるのもったいない」と最小限のものしか差し出さない、差し出さないにも関わらずそれでももったいないような気がするということが起きる。

これは相手がお金持ちかどうかということとはちーっとも関係がないし、そもそも物質的な話でもない。たとえ、モノやお金のやりとりが発生していたとしても、それは表層的なことであって、こころもちの問題だ。

相手のこころもちが太っ腹だとこちらも太っ腹になり、けちくさいとこちらもけちくさくなる。

これ、佐野葉子さんも似たようなこと言ってたな。

逆も然りだから、まずは自分から太っ腹に!とは思うけれど、けちんぼな人に太っ腹になるって結構むずかしいんだな、これが。

人間の器がちいせえなぁとは思うけれど。

May 20, 2018

毎日ブログを書くことをノルマにしていたはずが、気が付けば1週間サボリ(-_-;)

怒涛の1週間に、自分が自分の人生に追いつけていない。

先週は、私もメンバーに入れていただいている富士北麓緩和ケア研究会主催の「おしゃべりば・か・ん・わ」もスタート。地域の人が気軽に立ち寄って、病気のこととか介護のこととか、子育てのこととか、困っていることとか、ちょっと人に話してみたり、誰かとつながれたりする場所がほしいね、ということで立ち上がった場。

月光寺から続く中央通り沿いにあるまつや茶房をお借りして、毎月第3金曜開催です。

か・ん・わ第1回終了後、まつや茶房のすぐ近くにある古本屋・不二御堂の店主から「絶望名人F.カフカの言葉を中心に。」展示のご案内来ていたなぁと、ひさびさに顔を出す。

いやぁ、カフカ、ヤバいね。

もはや笑いの域に達してる。

不「カフカ、3回婚約してんだよね。結構イケメンなんだよね」

私「遠くから眺めてる分にはおもろい奴ですけど、カフカの心の複雑骨折っぷりは近しい人間には結構迷惑ですよね」

等々、おしゃべりをしつつ、店主が書いたカフカの言葉を3枚購入。
プラス、写真の店主自身の言葉(笑)

店主が自分のだったり、どこからかひっぱってきたりした言葉をはがきや別の紙やらになぐり書きしたこのシリーズ、結構好きで、たまに買っては、トイレの壁に気分で張り替えていたりする。

現在は、この写真の言葉。

選ぶ基準は、「娘(あと夫)がどう反応するか」(笑)
でもまだ誰も貼り替えたことに気が付いていないらしく、つっこんでくれない・・・(-_-;)
(夫は気が付いていても、時間差でツッコミを入れてくること多々)

May 13, 2018

内藤いづみ先生のホスピス学校。

タイトルは「死は人生で最も大切なことを教えてくれる」。

今回のゲストはシスターの鈴木秀子先生。

ホスピス学校には、内藤いづみ先生が看取りをした方々のご遺族もたくさんいらっしゃる。会そのものが、先に逝ってしまった人を偲ぶグリーフケアの役割を果たしているのだなぁと実感する。

鈴木秀子先生のお話の中で、ある一人のシスターのお話。

非の打ちどころのない素晴らしい「聖人」のような方と皆に慕われたシスターは、死に逝く間際、部屋に入ってくる人に「この馬鹿者めが」とおっしゃるようになった。

「和やかに穏やかに逝くのがいいというけれど、暴れたり暴言を吐いたりして、抑圧してきたものを吐き出してすっきりして旅立つ、その人なりに自分らしさを出してバランスを取って旅立つのがよい」という秀子シスターの言葉に、あぁ、なるほどなぁと思う。

人生の最期は、周りにいる大切な人たちとの「仲良し時間」、人と人とのあたたなつながりの時間であってほしい。でも「仲良し時間」は、時には抑圧から解き放たれて、バランスを取ろうとする当人にとことん向き合わなくてはならない、厳しい時間でもありうる。

だから、困難を抱えていたり、死の間際だったりで苦しむ人のそばに寄り添う人は「吸いこんではいけない」のだという。「その人に必要な過程を経ているのだと、ただただ一緒に感じながら、そばにいるだけ。解決してあげるのではなく、その人が乗り越えていけるようにそばにいる。すべてのことは意味があって起こってくる」。

ここのところ心の表面が波打ってざわざわしていたのだけれど、心の深いところにある深海のような静けさを思い出させてくれる、素敵なホスピス学校でした。

ホスピス学校を終え、自宅へ帰ると、娘が発熱。

翌日日曜は「お母さんそばにいて。どこにも行かないで」という発熱体の娘のそばで、ホスピス学校で買った鈴木秀子先生の本を読みながら、うっつらうっつら。気が付けば、ほぼ一日娘と一緒に寝てました。ひさびさにまともに眠ったなぁ。PCを全く開かない一日なんていつぶりだろう。

May 11, 2018

精神病院では、国の施策で長期入院患者(固定資産、という呼称すらある)がどんどん減っていることもあり、代わりに認知症の患者さんを「お客さん」としてどんどん迎え入れようという動きがあることは、既にいろんなところで指摘されている通りである。

そんなのとんでもなーい!!と鼻息荒くプンスカしていたわけだけれども、プンスカしたところで、どこにも行き場のなくなった患者さんや介護者にとって、その困難な状況を変えてくれるだろう救いの糸として、目に映ってしまうだろうことは想像に難くない。

いまのこの状況を変えてくれるならなんだっていい。

受け入れてくれるところがあるんだったら、どこだっていい。

既得権益を持っている人たちが、自分たちにとって都合のよい方向に物事をもっていこうとする流れもそう簡単には変わらない。

両者の利害はたぶん一致してしまう。

本当にこの流れを止める方法はないのだろうか??とずーっとぐるぐると思案していたらば、ふと、精神病院を収容所だと思うからそんなのダメだ~!!ということになるけれども、精神病院がホーム、居心地のよいもう一つのわが家になるならばどうだろう?と思考を転換する。

これなら、既得権益を持つ人たちの利益を損なうこともない。ただ「固定資産」を「管理」するのではなく、一人の人として向き合って温かいケアと温かい場所を提供する。

精神疾患がある人も認知症のある人も、ともに地域で暮らせる人たちは地域へとつなげていく。

それを基本に、自宅で暮らせなくなった人たちの最後の砦として、温かい場所を提供する。

医療スタッフも介護スタッフも人材不足が深刻になっていく中で、「管理」を「適切なケア」へと変えていくことと、精神病院をなくしていくことは、どちらのほうがより現実的な解決策になりうるのだろうか。

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#私を構成する8性格と「ぼっち力」。

September 22, 2018

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医療福祉ライター今村美都のブログ

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